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回答数2

投稿日時:2008/11/29 20:43


サマルカンドの文化交差路とは何のことですか??
回答投稿日時:2008/12/1 20:45
お教えします!

それは昔からサマルカンドの文化的特徴を言い表す言葉なのです。

サマルカンドはシルクロードの中継点ですがティムール大帝国の時代に、国王ティムールが積極的に東西から様々な芸術家や建築家をサマルカンドに招き、地元の文化との交流を図り独自の文化の発展に勤めました。

その結果サマルカンドはシルクロードを代表する東西文化の交流と融合の場所として栄えたのです。

そして後の時代にサマルカンドは文化交差路の名前が付けられたという事です。
回答投稿日時:2008/12/2 9:29
サマルカンドはウズベキスタンの古都であり、「サマルカンド-文化交差路」という名称で
世界遺産に登録されています。

その地理的要因から北東アジアと地中海世界の陸路交易ルートの一大拠点として、
大月氏、康居、クシャーナ朝、エフタル、突厥、ササン朝ペルシアなどに支配されながらも発展を続け、
また、サマルカンドを含む一帯・ソグディアナの住民である遊牧民族・ソグド人も交易を主たるなりわいとしていました。

チンギス・ハーンの侵攻により一旦破壊されたものの、交易拠点としての重要性から
廃墟の近くに現在まで残るサマルカンド市街が形成されました。
サマルカンドが最盛期を迎えるのがティムール朝時代です。

その創始者であるティムールはチンギス・ハーンに強い憧れを持つ一方で、
熱心にイスラム教を信仰していましたため、
イスラム的な都市文化を育成しつつ、子供たちを侵攻先の支配者としていきました。
ティムールの4男であり、ティムール朝3代目の君主であるシャー・ルフは
父から与えられた支配地のヘラートを自らの拠点とし、サマルカンド
子であるウルグに託しました。

このようにして遊牧民族の出身でありながら若くして大都市の運営を任されたウルグは
イスラム文化のみならず、中国文化も積極的に取り入れ、
サマルカンドを文化交差路と呼ばれる、特徴的な都市に育て上げました。

余談ですが、ティムールはその業績からティムール朝の初代君主とされていますが、
ティムール自身はモンゴル帝国2代大ハーン、オゴデイの子孫であるソユルガトミシュ、
次いでその子であるスルタン・マフムードをハーンとし、
自らは父から受け継いだ称号であるアミール(総督あるいは将軍と訳されます)を名乗り、
また、チャガタイ・ウルス最後のハーンであるカザン・ハーンの娘サライ・ムルク・ハヌムを妻としてからは
キュレゲン(女婿)も併せて称号として自らはハーンに即位することはなかったので
ティムールを"国王""皇帝"とするのは、厳密には誤りです。