共通カテゴリ
エリアから探す

  質問

回答数6

投稿日時:2009/12/19 9:47


18~19年ほど前にヨーロッパに行ったのですがアンカレッジ経由だった可能性はありますか。航空会社はアリタリア航空だったと思います。当時航空関係に全く興味がなく覚えていません。
回答投稿日時:2009/12/19 11:03
私が初めてヨーロッパへ行った86年当時は、まだソビエト連邦の時代で、上空を飛ぶ事が許されていなかったため、アンカレッジで給油立ち寄りしていました。
ソ連からロシアに変わり、上空の飛行許可が下りてからは、「直行便」になりました。

西暦何年からアンカレッジ経由が無くなったかは、忘れました。
アシカラズ・・・・_| ̄|○
回答投稿日時:2009/12/19 14:51
1984−85年

欧州行のフライトは、

北回りコースーーアンカレッジ経由
南回りコース

がありました。

南回りを利用したことあり、ルフトハンザで、パキスタン(当時)のカラチ経由でした。
フランクフルトまで行きました。

アリタリア航空も、南回りコースも運行していたものと推測します。
回答投稿日時:2009/12/19 17:56
natsuwaatsui565氏の回答で正解。

北極航路の閉鎖は、1990年初頭のソビエト連邦崩壊と時を一致させている。

それまで上空通過を認めなかったソ連邦が無くなり、上空通過料収入を経済的に有効とみたロシアが領空通過を認めたからだ。

元々北極航路は、南回りで著しく不利になるSAS(スカンジナビア・エア・システム:ノルウェー・デンマーク・スウェーデンの共同出資会社)が開いたものだった。

それまでの南回りでは航路が長く、いずれも5、6回の中継地が必要だった。

中東、南西アジア、インドシナに旧植民地を抱え、かつ友好国でもあるBOAC(BAの前身)、エール・フランス、KLMなどに比べる不利だし、クルーの管理も困難だったからだ。
回答投稿日時:2009/12/19 19:22
1986年にアリタリアを使いましたが、モスクワ・ミラノ経由ローマ行きでした。
モスクワで給油のため機外に出ましたが、ソ連時代の空港の暗かったこと(電気がほとんどついていない)。キャビアを買いたかったのですが、やる気のない店で、あっという間に長蛇の列で買えなかったこと。銃を持った兵隊がたくさんいて、写真は絶対に取れなかったことを思い出します。

チェルノブイリの3カ月前の出来事です。チェルノブイリの事故の後は欧州旅行のキャンセルが相次いだと聞いたので、「事故の前に行っておいて良かった〜」と、記憶に残ってます。
回答投稿日時:2009/12/19 19:29
アリタリア航空であるとすれば、旅客便の日本線をアンカレッジ経由で運航した事はなかったと思います。

-------- 補足 ----------

タイ航空でアンカレッジ経由と言う事でしょうか?
それでしたら可能性は全くないと思います。バンコク乗り継ぎで、南回りです。
片道のみタイ航空と言う事であれば、もう片道は古くから提携関係にあったスカンジナビア航空を利用したのかもしれません。
それであれば、アンカレッジ経由の可能性もあります。

また直接は関係ありませんが、ソ連の崩壊とともにアンカレッジ経由からシベリア経由にシフトしたととれる書き込みがありますが、実際にはその間に無着陸ポーラールートで運航していた時期もあったかと思います。
現在でもAFの夜間便は、到着時間調整のためにこのルートを飛んでいます。
回答投稿日時:2009/12/21 3:40
あると思います。1990年にKLMオランダ航空を利用して北欧に旅行しました。その時はアンカレッジ経由でした。