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投稿日時:2017/2/25 9:49


モンゴルモンゴル帝国全盛期に全世界から略奪した金銀や財物はどうしたのですか?
モンゴルは今では貧乏国に転落してますが全盛期に略奪しまくった遺産とかはないのですか?略奪した財物の中には国宝クラスの書画骨董もあったと思いますがモンゴルには国宝級の貴重な
書画骨董を一同に展示した大英博物館(強盗博物館)のような施設はないのですか?
エジプトやギリシャのように先祖の遺産が主産業(観光業)の国もありますが。
回答投稿日時:2017/2/25 18:11
司馬遼太郎の『草原の記』に「モンゴル帝国第2代皇帝オゴダイは金銀財宝にあまり関心がなく、略奪品は気前よく部下に全部配ってしまった。そうした資質がモンゴルのリーダーには必要だった」といった風に書かれています。これは概ね歴代のモンゴル皇帝に共通しており、遊牧民にとって最も大切な財産は家畜と草原であり、それさえあれば生きてゆけるという考え方が根底にありました。現代風に言えば「清貧」の思想とでも言えましょうか。(他に略奪品財産として奴隷があります)
フビライが中国を支配し元朝を興し、現代の北京に相当する都を築き、中国人を統治するために中国風の宮殿を建てましたが、皇帝の寝所は遊牧民伝統のゲルで、配下のモンゴル兵も周辺にゲルで野営していました。夏の離宮で世界遺産でもある上都は低い城壁こそあれ、城門おぼしきものがなく、基本的には同行した中国人官吏や皇帝に謁見する来訪者、賑わいに当て込んだ商人らが過ごすための城壁都市で、皇帝や蒙古貴族はやはりゲル野営でした。城門がなかろうが周囲にモンゴル兵が野営しているので、攻め込みようもなかったのです。
元朝は百年足らずの歴史しかありません。後期には中国文化に魅了された皇帝や貴族も現れますが、明朝が起ると金銀財宝には目もくれず、馬に乗ってさっさとゴビ砂漠の北に広がるモンゴル高原へと帰ってしまいました。この潔さもモンゴル気質と言えるでしょう。
一方、中東に拠点をおいたフレグ・ウルス(いわゆるイルハン国)やロシアを支配したジュチ・ウルス(キプチャクハン国)は代を経てイスラム化しますが、イスラムにおける「持てる者が貧しい者に施す」サダカの教えを実践したり、モスクを建てるなどしてやはり皇帝自身の個人財産には金銀財宝はあまりなかったようです。また、ジュチ・ウルスは子孫が多く複数の国に分裂したため、財産も分散しました。
初代のチンギス・ハンの埋葬の様子を記録した中国の文献(リアルタイムに見たものではなく後世に伝聞を集めたもので正確性には疑問の余地あり)では、特に副葬品を備えたわけではなく、簡素なものであったとされます。死後の世界に金銀財宝を持ち込んでも無意味とか、あの世はそうした世界ではないという観念・宗教観もあったのでしょう。
明朝下を生き抜いたモンゴルは、同じ遊牧民出身の清朝では優遇されましたが、蒙古王族貴族といっても遊牧用の広い草原を持っていることが特権で、それほど華美な暮らしをしていたわけではありません。それでもゴビ砂漠の南に位置する現在の中国・内モンゴル自治区側に暮らしていたモンゴル族は多少の中華化があり、書画骨董を蒐集し、そうした物品であれば自治区首府のフフホトにある博物館に展示されています。
モンゴル本土はロシア革命に続き、世界で二番目の社会主義国になりました(中国よりずっと早く)。清朝下のモンゴルは王族貴族階級がいた封建社会でしたが、一般遊牧民の生活は「清貧」な人々で、すんなり社会主義を受け入れることが出来たとされます(社会主義を容認した最大の失敗は宗教を否定され信仰していたチベット仏教が衰退したこと)。清朝時代からモンゴルにも貨幣経済は存在し、ソ連衛星国時代からは独自の通貨も発行(通貨単位はトゥグリク)しましたが、自分が初めてモンゴルを訪れた90年代後半は市場などでモンゴル人同士の間では物々交換による取引が当たり前でした。こうした光景からつい最近までモンゴル人は財産に関する感覚が世界的に一般的なものとは違っていたようです。
現代における産業は石炭が主要品で、主に中国へ輸出していますが、二酸化炭素排出問題から中国でも石炭の使用が減ってきており、外貨確保が困難になりつつあります。前述のように遊牧民はあまり大がかりな建物を建てなかったため、文化財となりうる文化遺産も殆どありませんが(世界遺産のカラコルムも石造物の破片が散乱する平坦な遺跡)、近年では雄大な自然を活かしたエコツーリズムに力を入れていますが、インフラが整備されておらず、悪路を性能が悪い中古車で何時間も走り、お湯シャワーもない宿泊施設に泊まることを多くの現代人は嫌がり、思うように集客できていないのがが現実です。

長文で失礼しました。
回答投稿日時:2017/2/25 10:25
モンゴルの元はラクダつをしましたがそれ以降、清の時代などで女真族が代頭したり、周辺国との争いで奪った物は逆に奪われます。

金銀財宝などは特に。

ハン国が分裂し、チャガタイ・ハン国、ウグタイ・ハン国等になり、最終的にハン国(元)もつぶれ民が興ります。

その後欧米列国や日本からも侵略を受け、近代化に乗れなかったモンゴルは中国に比べ略奪するメリットが無かったために現在のようになりました。

戦争やいさかいが起これば、略奪する価値があるものは買った方に略奪されるのが常です。