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回答数2

投稿日時:2011/6/18 19:12


ベルリンの壁がまだ存在している頃に、徒歩で西ベルリンから東ベルリンへ入国された方はおられますか?入国時の手続きや東ベルリンの雰囲気など、どんな印象だったか教えて下さい。
回答投稿日時:2011/6/18 22:55
徒歩での入国になるのかな?

ベルリンの壁がちょうど崩壊した1989年の5月に行きました。昔の事であまりよく覚えていないのですが。
西ベルリンで3日ほど滞在したあと、覚悟を決めて、やっとその旅の目的地の一つであった東ドイツに入りました。その時の旅で1番入国時に緊張したのは、東ドイツとチェコスロバキアでした。ルーマニアは行っていませんが他の東側はそれほどでもなかったです。
西ベルリンからの出国は多分すごくあっけなかったのか、まったく記憶にありません。
フリードリッヒ・シュトラーセ駅でドキドキしながら入国審査を受けました。東ドイツの後、ポーランドに行く予定だったので(ポーランドのビザは西ベルリンに来る前に、ロンドンで取得済みでした)、確か72時間(?)だったかの通過ビザを取得して入国しました。ポーランドのビザがあったためと日本人だったこともあるのか、緊張した割には、簡単に入国できた記憶があります。他の東側諸国同様、入国時に3日分(滞在日数分)の強制両替がありました。

町は、賑やかな西ベルリンとは違って閑散としていました。場所は忘れましたが、有名な広場みたいなところに行っても、ほとんど人が歩いておらず、ちょっと不気味な感じがしました。車も古そうな車ばかりでしたし。また東ベルリンで泊まったホテルは、結構高く取られた割には、ボロく、廊下の壁とか崩れていたところもありました。
有名なブランデンブルグ門も見に行きましたが、ドーベルマンか何かの犬を連れた兵士が監視していて、門のすぐ向こうに西ベルリンが見えているだけに、複雑な心境でした。

翌日はドレスデンに行きましたが、こちらの方が町も美しく印象は良かったです。ホテルもこちらの方が少し安かったのですが、部屋もきれいでしたし、やや無愛想だった東ベルリンのホテルのフロントと違って、とても感じがよく親切でした。
また夕食に立ち寄った大衆食堂みたいな店では、地元の労働者風の男性が話しかけてきましたが、その態度や言葉の端々に、自由な国から来ている人間に対する羨望のようなものを感じた気がするのですが、私に気のせいだったのかはわかりません。
人は全体に親切で、治安もいい感じはしましたが、ホテルなどは入国時(?)だったかにすべて指定され、滞在中の行動を監視されているような印象は受けました。
政治には全く疎いので、まさか訪ねたその年に壁が崩壊するなんて思いもよらず、ある意味、貴重な経験だったと思います。
回答投稿日時:2011/6/19 3:55
1981年の寒い時期に行きました。

西ドイツ→東ドイツ→西ベルリン→東ベルリンと入りました。
西ドイツ→東ドイツは鉄道で国境を越えましたが、2重に長く張られた
有刺鉄線の国境を超えた途端に、東ドイツの貧しさが分かりました。

国境の駅(と言っても乗客用ではなく)で一旦止まり、西ドイツ→東ドイツ
乗務員の交代をしました。そばの高い監視塔からは銃を構えた兵士が
列車を監視し、ホームには同じく銃を持った兵士とシェパードがいました。
それまでの人生で見たこともない光景だったので、監視塔の写真を
撮ろうとしたら、他の乗客に直ぐに止められました。物体を監視塔に向け
ただけで、下手すると撃たれると言われました。その後、交代した東ドイツ
の乗務員から貧しいざら紙に入国スタンプを押して、パスポートに挟んで
返してもらいました。

西ベルリン→東ベルリンはご質問の徒歩ではなく、チェックポイント・チャーリー
からバスで入りました。東ベルリンに入ると、↓の方もおっしゃっているように、
バスに乗っている「自由な世界から来た人達」に対する、市民の何とも悲し
げな、それでいて鋭い視線に気づきました。建物や車も古く、歩いている人も
少なめで、国境を越えた途端に全く別の世界でした。鉄道もバスも、鏡を
使って座席や車両の下を調べていました。

大きな公園でほんの少し自由時間があり、一緒に行ったアメリカ人の友人が
郵便局を見つけ、ガイド(=外国人の監視役)の目を盗んで駆け込みました。
友人がチャンスがあればと事前に用意していたハガキをアメリカに出したいと、
東ドイツのマルクがないのでと多めの米ドルを渡しました。相手は驚いていま
したが状況を直ぐに理解したようで、その米ドルを他の局員に分からないように
すぐに隠し、ハガキを受け取ってくれました。切手代は彼女が立て替えたので
しょう。ハガキがアメリカに届いたかどうかは聞きそびれました。

ベルリン行きは日帰りで、帰りは西ベルリンに泊まりましたが、このホテルが
戦前はおそらくユダヤ人の大金持ちの邸宅だったようで、大きな部屋を宿泊用の
狭い部屋に少し改造したような作りでした。

東西のベルリン滞在中は雨模様で、何とも薄暗く寒い、まるで昔のスパイ映画の
ようだと友人と話した記憶があります。

訪問した当時は、まさか壁が崩壊するとは全く予想もしなかったので、今思うと
本当に貴重な経験でした。